●「平和は、一人ではできない。しかし、一人が始めなければ、何もできない」
夏が来ると、マスメディアも競って「戦争と平和」を取り上げる。今年は特に戦後60年という節目だから、猫も杓子も「平和、平和」と言う。平和を祈らない宗教者はいない。しかし、その祈りにアクション(行動)の裏付けのないものは、平和の妨げになっても、平和の構築には程遠い。
私は世界宗教者平和会議日本青年部会の幹事長のお役をいただいている。先日、インドネシアで「アジア青年事前会議」があった。これは、来年8月に行われるWCRPVIII(第8回世界宗教者平和会議)への参加意欲を喚起する目的で開催された。
青年宗教者として「平和のために何ができるか」「平和のために何をするべきか」「平和のために何をしてはならないか」という視点に立って、喧々諤々の議論をした。14カ国68人の会議であったが、アジアのなかで、われわれ日本人がいかに「平和ボケ」をしているかを痛感させられた。「平和を言う」宗教者は多いが、平和ボケのなかでは空論である。
イザヤ・ベンダサンは「日本人は、安全と水がタダ(無料)で手に入ると考えている」と言ったとか。平和を希求している現実は、われわれが考えている以上に厳しい。宗教者は今こそ、現実を直視して、平和への道を歩まねばならない。マザーテレサが「愛のない世界とは、無関心である」と喝破したが、われわれの周囲を見るとき、「平和への無関心さ」が目立つのは、かなしいことである。平和の夏、戦後60年の夏を迎えて、こころから戦争犠牲者の御霊さまたちに慰霊と鎮魂の祈りを捧げ、ここからの一歩を踏み出したい。平和は、一人ではできない。しかし、一人が始めなければ、何もできない。
(三宅道人)