●食べられるということ
食べられるということ
それは先日、おもちを食べている時のことでした。口の中で異変を感じたのです。
「何か硬い物がある!!」
その昔、奥歯に詰めていた物がはずれ、そこにスッポリと穴が空いているのです。「あぁ、歯医者に行かなくては…」。正直いってとても憂うつな気分でした。
翌日、重い足取りで歯医者へ行くと、先生はレントゲンを見ながら、「これは歯を埋めるだけの簡単な治療ではすまんよ」と言うではありませんか。なんと奥歯の後ろには、親知らずが横になって埋もれていたのです。それを抜くには特殊な処置が必要と診断され、まさに「泣きっ面に蜂」といった状態です。
早速家に帰り、神棚に手を合わせました。
その時ふと、「今までおいしい食べ物を沢山頂いたなあ」と思われて来ました。考えてみれば私は、「親知らずは根が深いから痛いだろうなぁ」とか、「治療は何日も続くんだろうなぁ」と、心配事ばかりに気持ちが行って、今までどれだけこの歯にお世話になってきたかなど、考える余裕も無かったのです。しかし、こんな状態でも何の不自由もなく、これまで食物を頂いてきたことを思うと、奇跡的にさえ思え、なんとありがたいことだと感謝せずにはおれません。やっと決心がつきました。
数日後、治療は難航しましたが、無事に抜くことができました。
金光教の教祖の教えに、「真にありがたいと思う心は、おかげの受けはじめである」とあります。
心配ばかりしていた私でしたが、歯の大切さや、食べられるということのありがたさを、しみじみと感じる貴重な体験となりました。