●ビデオのあの頃
ビデオのあの頃
先日、高校生になる娘が、どこからさがしてきたのか、一本のビデオテープを引っ張り出し、一人で見ていました。そこには、自分が四才の頃、公園の滑り台やシーソーで遊ぶ姿。よちよち歩きながら、いつまでもパチパチと手を打ち続けてご満悦の弟の姿が、映し出されていました。画面に見入っている娘はというと、ニコニコしながら、時に笑い、「カワイイ」とはしゃいでいました。
そばにいた私は、(カワイイ、カワイイって、自分のことじゃない?)(毎日のようにけんかしている弟でも、ビデオの中ではかわいいの?)と、ちょっと皮肉っぽい目でしばらく見ていました。
ところが、幼い頃のあどけないわが子の様子を見ていると、このビデオを撮ったときのことや、その頃の生活の様子、画面に映る息子の顔の傷のこととか、この次の日に娘が水庖瘡になったなど、昔の記憶が一気によみがってきたのです。
やがて思われてきたのは、その時からきょうまで、ビデオに映っていない十数年間、泣いたり笑ったり、喜んだり悲しんだりしながら、子どもたちも、私たち夫婦も生きてきたんだなあ、ということでした。 いつの頃からか、朝は「早く起きなさい」で始まり、夜は「早く寝なさい」で終わる毎日。怒ったり喧嘩したり…。子どもとの格闘の毎日の中で、大切なことを忘れていました。
子どもが幼かった頃、初めて寝返りをしたと言っては喜び、ハイハイを始めたと言っては、その成長に驚いた日々。そんなわが子の姿から、「親の力」だけでは成し得ない、いのちを育む大きな働きがあることを、あの頃は自然と感じていました。でも、子どもが大きくなって、口答えや反抗的な態度だけが目についてしまい、その尊い働きを忘れていたのです。
十分間ほどのビデオが終わったとき、きょうまで過ごしてきた子どもとの時間が、あたたかく大切なものとして蘇ってきました。