●放置されたボール
放置されたボール
わが家の裏に空き地ができて、子どもたちがサッカーやドッジボールなどをするには格好の遊び場となりました。子どもたちが笑い声をあげながら遊ぶ姿は本当に楽しそうで、窓越しに見ている私もついつい時間を忘れてしまいます。
そんなある日、子どもたちが遊び終えた空き地のすみに、一つのボールが置き去りにされていました。置き忘れたのか、見失ったのかは分かりませんが、何日も放置されたままなのです。雨に濡れたボールはなんだか淋しそうでした。
その二、三日後、子どもたちが遊びにやってきたのですが、あのボールには見向きもせずに、新しいボールで遊んでいるではありませんか。
私はなんだか子どもたちを責める気持ちになりました。でもそのまま自分たち大人に置き換えてみると、「なくしたら買えばいい。新しいものがほしい」というのが今の大人の姿でもあり、それがそのまま子どもたちに映し出されているのだと思えたのです。
私たちは、物が溢れた豊かな生活になれてしまい、探そう、修理して生かそう、洗って使おう、もう少し我慢しようという心が失われて、物を粗末にするようになっているのかもしれません。
物にはそれぞれの働きがあり、いのちがあります。物を粗末にする生活は、知らず知らずに自分や他の人のいのちをも粗末にする結果を招いているように思います。
金光教の前教主は、「粗末からすべての難儀起こるなり、実意をこめてすべてを大切に」とのお歌を詠まれています。すべてのいのちとその働きに感謝し、大切にする生き方を教えて下さっているのだと思います。
元気に遊ぶ子どもたちを見つめながら、空き地に放置されたボールが、私たちに大切なことを語りかけているように思いました。