●かわいそうと思う心
かわいそうと思う心
私の祖父は長い間カバン屋を営んでいます。今日まで様々なことがありましたが、中でも一番の思い出は、昭和34年秋の伊勢湾台風の時のことだそうです。
その台風によって、多くの家が流され、亡くなった方や行方不明となった方もあったそうです。祖父のお店のあった商店街も水に浸かり、祖父のお店もカバンや財布など、商品のほとんどが売り物にならなくなってしまったのです。
幸い財布類は被害も少なかったのですが、やはりすべてを商品として売ることはできない状態でした。
仕方のないこととはいえ、こだわりをもって仕入れ、良いものを提供してきた祖父は、相当のショックを受けたそうです。愛着を持って接してきた財布やカバンを見つめながら、「ここまで多くの人の手を経て作られた財布やカバンたちを、誰に使われることもなくこのまま捨ててしまうことはかわいそうだ。せめて状態の良いものだけでも使ってもらいたい」との思いが湧いてきたのです。
もちろん商売の上にも生活の上にも重大な死活問題でしたので、無料で配るわけにはいきません。そこで、当時で何千円もするものを二~三百円で店頭で売ることにしたのだそうです
幸いにも、店頭は黒山の人だかりとなり、多くの人に買ってもらうことができました。中には事情を察してか、売値より多めに代金を払って、「お釣りはいいから、お互いがんばりましょう」といってくださる人もあり、その気持ちがとても嬉しく、涙が出てきたと祖父はよく語ってくれました。
祖父はいつも、「あの時の苦しみや喜び、そして財布やカバンたちを人に使われることなく捨ててしまうことがかわいそうだと思う心を、今日まで大切にしてきた」と私に教えてくれるのです。